『はじめての短歌』穂村弘(河出文庫)


撮影:生活工房

 

 

 何者かにならなきゃ、成功しなきゃという圧がとても強い社会だと常々感じています。勝ち組・負け組のような言葉が生まれたり、自由にのんびり暮らしているのに、くすぶっているとか、ちゃんと働けと言われて、焦らされたり。失敗することがこの世の終わりのように感じられて、なんとか社会に適応しようと無理をする。無駄をなくし、スピードを重視し、短くわかりやすい言葉を使う。その仕事を誰が担当しても滞りなく進められることが一番で、気づけば自分は何のために生きているんだろうと、体調を崩したりもする。

 もちろん、社会を成立させるために必要な仕事でもあるのだけれど、大前提である、一人ひとりがたったひとりのかけがえのない存在であることが、認められづらい状況になっていると思います。役に立つか、立たないかで、価値判断をされてしまう。

 私自身、昔からスピードを求められることや自分の考えをわかりやすく言葉にすることが苦手で、アルバイトや会社でも仕事ができない人間だったと思います。でも仕事が世界のすべてではないと思っていた。それは詩歌を読んできたからだと思います。詩歌は、使い古された言葉や概念を疑って、行き止まりだと思えていた世界に奥行きがあることを教えてくれた。

 なかでも大切な一冊となったのが穂村弘さんの『はじめての短歌』(河出文庫)でした。“ぼくらは「生きのびる」ために生まれてきたわけじゃない。では何をするために生まれてきたのか。それはですね、「生きる」ためと、ひとまず言っておきます”。

替わりの効くシステムが用意されている人生の生き方を「生きのびる」、一人ひとりにかけがえのない価値のある人生の生き方を「生きる」として、いい短歌は「唯一無二の生」に寄り添う短歌だと穂村さんは言います。社会的なラベリングから解放された、名前のないもの、ヘンなもの、弱いもの、小さいもの、換金できないもの、曖昧なもののほうが短歌にとってはいいと。あ、価値は社会じゃなくて自分で決められるんだと、本当に救われました。

 自分の曖昧な心の在り処に気づける場所を作れたらという思いで、私は自分のお店「twililight」を始めました。ただ一人の人間として「生きる」ために、支えになるような本を選び、ギャラリーの作品の前で立ち止まり、カフェでひと息つく。「生きのびる」生き方からひと時でも解放されて、ちっぽけで全然すごい人間じゃなくても、一人しかいない自分を大切に思える、そんな時間を提供できたらと思っています。

 

永井玲衣さんの『水中の哲学者たち』(晶文社)も、哲学と詩が世界をよく見るために役立つことを教えてくれます。社会的に取るに足らないとされているようなものに気づくことは、きっと自分や他人の存在を肯定することにつながります。  撮影:生活工房


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熊谷充紘(くまがい・みつひろ)

愛知県生まれ。2011年3月11日がそれまで勤めていた会社の最終出社日で、翌日からフリーランスに。ignition galleryという屋号で特定の場所を持たずに展示やイベントの企画を全国で行う。2020年の4月〜6月にかけた自粛期間に柴崎友香『宇宙の日』、バリー・ユアグロー/柴田元幸訳『ボッティチェリ 疫病の時代の寓話』を刊行。以降出版活動も行う。2022年3月11日に三軒茶屋で本屋&ギャラリー&カフェ『twililight』をオープン。

*twililightでは、働くことや仕事をテーマにセレクトされた本や「どう?就活 vol. 2」のゲストがおすすめする本などを一部取り扱っています。



セミナー
どう?就活 自分と仕事の出会い方 vol. 2
https://www.setagaya-ldc.net/program/547/

会期:2022年12月3日(土)・4日(日)

ファシリテーター:西村佳哲(働き方研究家)
ゲスト:今井紀明(認定NPO法人D×P理事長)、さこうもみ(社会起業家)、吉倉理紗子・白石宏子・玉置純子・青木佑子(株式会社スティルウォーター)、松山剛己(松山油脂株式会社) *順不同