「写真」という言葉を聞いて、どのような形ものを連想しますか?ひと昔前なら、カメラで撮り終えたフィルムを現像屋さんに持っていき、同時プリントで出来上がる、長方形のつるつるとした紙の集まり。最近なら、デジタルカメラやケータイの画面、データとしてパソコンの中に保存された画像を思い浮かべる人もいるでしょう。しかしもし目が見えなかったら、それらの写真はどれも触るだけでは分からない=「手がかりがない」ものとなってしまいます。撮った人の感動や記憶を他人と共有するためのコミュニケーションツールであるはずの写真。「手がかりがある」写真を作ることができたならば、私たちが感じ、共有できる世界は、もっと広がるはずです。写真を撮るという行為は、写真という窓を通した自分との対話であり、他者との対話でもあるからです。
生活工房では2008年11月から12月にかけて、東京都立久我山盲学校中学部の生徒たちと、美術の時間に写真を撮りました。ただ撮るだけでなく、グラフィックデザイナーがその場で線画におこし、黒い部分が熱で盛り上がる立体コピー機にかけて、ふれられるようにしました。大切なのは、どんな写真が写っているのか本人が認知し、何かを感じるということです。ぜひ、彼らの紡ぎ出したイメージにふれてください。