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レポート | 「続・セタガヤママ」展レポート - 生活を軸に展開した、小さなメディア活動をたどる | 世田谷文化生活情報センター 生活工房

Report

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「続・セタガヤママ」展
レポート

生活を軸に展開した、
小さなメディア活動をたどる

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雑誌的メディアへの発展

「子どもザウルス」「あめの会」主宰者の平野公子さんがある日、提案した。「『書く』という表現をしてみようよ」と。1981年、こうして「あめの会通信」がはじまった。
道具は謄写版。市民の印刷手段としての謄写版は当時、町の文具店には鉛筆や消しゴムと並んで、普通に販売されている商品だった。

田上正子

それまでの「あめの会」の活動、つまり本を使った読み聞かせや紙芝居、お面劇といった催し物活動にいったん区切りをつけ、通信を出すことで「続・あめの会」をよりおもしろくできれば、と創刊号には記されています。ここで謄写印刷(ガリ版印刷)のガリ切りを担当した田上正子が、発行の中心となっていきます。

有料で年12回、それぞれの友人・知人に送ることからはじまった。書き手も友人・知人だ。その後間もなく、平野さんや大橋正子さんは、「セタガヤママ」をスタートし通信から離れ、私は仲間を増やしながら、通信をつづけていた。
編集のいろはも知らぬ私たちだったが、通信というモノを介在して人とつながるおもしろさ、楽しさにも引きこまれていった。

田上正子

あめの会通信の展示写真
あめの会通信
あめの会通信
ガリ版印刷の道具
ガリ版印刷の道具

「あめの会」と劇団「68/71黒色テント」が、1984年と翌年に福島県飯館村で開催したワークショップを機に、小学生から中学生までが中心となりワークショップ集団「OM」を結成。「黒テント」の稽古場での練習、児童館での上演など積極的に活動します。

中学生と小学校高学年4・5人の私達に黒テントの人が話してくれた、「お芝居は、好き勝手にするものではなく、相手である観客に伝えたい〈何か〉が必要でその〈何か〉を追求することこそが芝居創りなのだ……」という想いをうけ、「オフィス・メッセンジャー」(=OM)と、覚えたての横文字を並べたグループの名前にしました。

(中略)

「お芝居の楽しさ」「他人の役になってみる何とも言えない感覚」などを感じるたびに、観客に伝えるべき〈何か〉とは何なのか? というかつての問いかけを考えるようになりました。そこで定期的に自分たちの「今」を自分たちで書き出すことでその〈何か〉を考えようと通信も創りはじめました。

竹中和重(ワークショップ集団「OM」)

こうして彼らは不定期で『OM通信』を発行。その前身には「あめの会子供TEAM」で1985年に発行した『丸太小屋の中のマイペースなメッセンジャーたち』がありました。丸太小屋というのは、ログハウス増築後の「セタガヤママ」のことで、子どもたちは通信についての話し合いなどをここで行っていたのです。
世田谷パブリックシアター開場前のプレイベントでは、ファシリテーターとしてワークショップを開催(1990年)。その後、メンバーの進学等を理由に活動は自然消滅していきました。

あめつうしんの展示写真
OMのワークショップ記録や『丸太小屋の中のマイペースなメッセンジャーたち』

『あめの会通信』の創刊から10年後の1991年1月、誌名が『あめつうしん』に改められます。田上は改称の経緯を「通信だけでもなんの不足も感じないで、非常におもしろがってやってるんですが、“独り立ちの通信”ということを考えると、この『会』というのがどうも気になってきました」と語っています。

発行部数はおよそ300部。世田谷区内に限らず、全国各地、さらに海外にも購読者がいます。20頁前後の誌面には6~7本の連載記事が並び、読者からのお便りも丁寧に掲載。30年以上続く連載「フィリピン風だより」は、現地の大学で文化人類学を教える永井博子が執筆。歌人で世田谷の障がい者運動に尽力した碓井英一、「セタガヤママ」の大橋正子、ガリ版文化研究者の志村章子、ノンフィクション作家の枝川公一、小学校教員で退職後は「出前教師」として科学教室を開く平林浩など、これまでにさまざまな書き手が寄稿してきました。

そして2004年からは年6回発行、購読料は年間2,400円。田上がひとりで編集・ガリ切り・印刷・発行を行っています。ガリ切りにかかる期間は、およそ1か月。93年からは点字版『あめつうしん』も発行。現在、購読者はいませんが、発行する態勢は存続しています。会場では、2022年までに発行した『あめの会通信』『あめつうしん』のバックナンバー、全329号分を展示しました。小さなメディア活動は、現在もつづいています。

あめつうしんの展示写真
『あめつうしん』バックナンバー

People

田上正子(たのうえ・まさこ)

1947年富山県生まれ。79年に「あめの会」に参加、その後「あめの会通信」の制作に携わる。91年に「あめつうしん」に誌名を改め、校正仕事をしながら、発行を続ける。世田谷には娘たちの通園・通学のため91年春に転居し、13年暮らす。現在、中野区在住。

竹中和重(たけなか・かずしげ)

1969年京都府生まれ。小学校入学を機に区内に移り住む。京都市内育ちの母が星空を見せたいと、「セタガヤママ」周辺から情報を得て、飯舘村のワークショップに妹と三人で参加。「言語障害があったため、風呂を借りた農家のお婆さんに『あんたの台詞が一番届いた、旨いのぉ』と試演会を誉められたことがとても嬉しかった」

展覧会担当者より

本展では、アーティストでもデザイナーでもなく、子育て中の女性たちの活動を中心にご紹介しました。住民が主体となって、地域で活動した私的な取り組みは資料が残っていないことも珍しくないのですが、ご寄稿もいただいた皆さまからお借りしたビラ、ミニコミ、写真等をもとに展覧会というかたちでのご紹介が叶いました。ご協力いただいた皆さまに厚くお礼を申し上げます。

カワルン
「通信」は
それぞれの居場所に届くよね
クラシー
遠くにいてもつながってるね

Supported By

展覧会場写真:平野太呂(p.1「プリントゴッコ」、p.2「レストラン営業の頃の写真」を除く)

クラシー&カワルン イラストレーション: にしぼりみほこ