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レポート | 世田谷クロニクル1936-83 | 世田谷文化生活情報センター 生活工房

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世田谷クロニクル1936-83

 

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展覧会「世田谷クロニクル」

本展の背景に潜む「記録」と「記憶」のストーリーについて、企画に関わるキーパーソン二人の対談と展覧会レビューをご紹介します。レビューを寄せていただいたのは、ユニークな視点で「生活」のおもしろさを伝える雑誌『生活考察』編集発行人の辻本力さんです。

対談

穴アーカイブのアーキテクチャ

クロニクルをふりかえる

松本篤 × 板坂留五

photo:Daisaku OOZU

2015年にスタートした8ミリフィルムのアーカイブ・プロジェクト「穴アーカイブ」、そして展覧会「世田谷クロニクル1936-83」の企画制作を担う松本篤さん(remo)、会場を設計した板坂留五さん(RUI Architects)に展覧会の風景やその裏側について伺いました。(進行=生活工房・佐藤)

松本篤(まつもと あつし)

1981年兵庫県生まれ。NPO法人記録と表現とメディアのための組織(remo)メンバー。
2005年より市井の人々による記録の価値を探求するアーカイブ・プロジェクト、AHA![Archive for Human Activities/人類の営みのためのアーカイブ]を始動させ、現在に至る。
近年の主な実績としては『はな子のいる風景』(武蔵野市立吉祥寺美術館、2017)や、ウェブサイト『世田谷クロニクル1936-83』(生活工房、2018)など、場づくりから書籍制作まで、さまざまなメディアづくりに取り組む。

板坂留五(いたさか るい)

1993年兵庫県生まれ。2018年東京藝術大学大学院建築専攻修了後、独立。2019年秋、修了制作から取り組んでいた両親の店舗兼住宅「半麦ハット」(協働:西澤徹夫)を竣工。2018年よりLIXILが企画する「パブリック・スペースのゆくえ」のコラム執筆に参加し、ユニークなドローイングで物語を通した空間を提案した。他、ドイツパンの店タンネ(水天宮)の店舗内装や、生活工房主催の「世田谷クロニクル」展の会場構成など、実/虚問わない空間設計を手がける。2020年より東京藝術大学非常勤講師。


反(an)・アーカイブ的なアーカイブ

記録の不在をキーワードにした「穴アーカイブ」は、個人宅に眠る8ミリフィルムの映像をデジタル化し、鑑賞会やウェブなどを通じて一般にも公開してきました。展覧会に辿り着くまでのプロセスはいかがでしたか?(生活工房・佐藤、以下省略)

松本篤

穴アーカイブとは、記録の穴(=不在)をいろんな資料や記憶を寄せ集めて埋めていこうというブリコラージュ(※1)的な手作りのアーカイブの試みです。
この「穴」という言葉にはおよそ3つの意味が込められています。
1つ目は、公的な出来事や有名な事件の「記録」は残り易いが、その一方で、“ふつう”の人がみていた何気ない日常や些細な出来事は記録に残りにくいということ。
2つ目は、フィルム撮影者が映像の内容を一番把握しているかと言えば、決してそうとも言えず、撮影者以外の人がみることで発見がある場合があるということ。
3つ目は、8ミリフィルムにあるパーフォレーション(※2)という送り穴です。そもそも記録媒体には、記録できない部分が存在しているということ。
穴アーカイブは、ないものを集める、また、記録の欠失から記録を残すことを考えるという矛盾した活動なんです。反(an)・アーカイブ的なアーカイブとも言えるかもしれません。

提供者とともにみる上映会の様子〈収集〉
8ミリフィルムの鑑賞会〈公開〉
松本篤

そしてこの1〜2年は、映像の「保存」と「活用」 に力を注いでいます。穴アーカイブでは対面型の「顔がみえる」アーカイブづくりを大事にしてきましたが、それは、より多くの鑑賞者から映像にまつわる会話やコメントが寄せられることによって、映像の資料性が高まっていくと考えているからです。
こうした顔がみえるアーカイブづくりを支えるツールの1つとして、ウェブサイト「世田谷クロニクル」も位置づけています。また、少人数で映像を囲む定期上映会「せたがやアカカブの会」も4年目になりますが、今はウェブサイトを活用しています。そういう意味では、今回の展覧会も映像を紹介するのと同時に、映像を活用する方法のデモンストレーションでもありました。

「せたがやアカカブの会」では、1つの映像を繰り返しみながら、
映っていることや想い出したことを参加者同士で語りあう

ちなみに、板坂さんは8ミリフィルムってみたことはありましたか?

板坂留五

美術館でみるような映像作品でしかないです。実家は、ホームビデオすら撮らない家庭だったので、写真しかなかったです。日常を映像でみることがなかったので、とても新鮮で、羨ましいなと思っていました。

※1
ブリコラージュ(仏: bricolage)は、「寄せ集めて自分で作る」「ものを自分で修繕する」こと。 「器用仕事」とも訳される。
※2
パーフォレーション (英: perforations) は、映画や写真など撮影用フィルムの縁に一定間隔で開けられている細長い送り穴のこと。

映像と言葉、そして声、モノ、年表

展覧会に向けた準備では、提供者の方にアポを取り、インタビューを重ねながら、展示内容を詰めていくようなプロセスで進んでいきました。振り返ってみて、あらためていかがですか。

松本篤

思い出すこととしては、3つくらいあります。

まず1つ目は《声》を使ったことです。もともとシンプルに、映像とそのフィルム提供者の言葉を書き起こしたものだけで構成する予定でした。でも、親しみやすさとか、この取り組みの価値がちゃんと伝わるのか考えた時に、あらためて提供者の《声》を重要な要素として位置づけ直し、会場で流すことにしました。

8ミリフィルムとともに、映像をみながら語ったフィルム提供者の声が流れる
photo: Daisaku OOZU
松本篤

2つ目は《モノ》ですね。インタビューをしていると、映像には出てこない印象深いエピソードを伺うことがあります。その話は映像には残っていないけど、それを示す当時の《モノ》は家に残っていたりするんです。たとえば世田谷に関するモノを集めるコレクターの方がいるんですが、最初に集め始めたのはこれなんだよって、出してくれたりとか。いわゆる「なんでも鑑定団」的な客観的に価値のあるモノではありません。ただモノを目の当たりにしたことで、語っていることの記録は映像だけじゃないと気づかされたので、モノ自体がある種の記録媒体であり、また再生媒体としてみえてきたらいいなと考えました。
3つ目はなんだったかな?

フィルム提供者ごとに展示した《モノ》
photo: Daizaku OOZU
蒐集家でもあるフィルム提供者が
最初に集め始めた《モノ》

《声》と《モノ》、あとは《年表》でしょうか?

松本篤

あ、そうです。3つ目は、この取り組みの面白さがみえるのってなんだろうなと思った時、12人が登場する年表で表現ができないかなと考えたんですね。12人それぞれのストーリーが、昭和の年表を肩代わりするというか、社会年表を、個人年表で書き換えていくようなことができたらいいなと思いました。
映像と言葉、そして声、モノ、年表をいかに構成するのか。ただ、取材と承諾を得ながらの準備だったため、直前になるまで展示物が確定できない。そんな状況を踏まえて、どのような空間構成が可能かを考える必要がありましたね。

社会年表と並行して個人年表が時系列に並ぶ
photo: Daisaku OOZU

生活工房の空間

この混乱した状態を収拾してもらうために、板坂さんに声をお掛けしました。まとまってない状態で入っていただきましたが、いかがでしたか?

板坂留五

展示の内容が決まってないことについては問題だと思っていなくて、この企画はいわゆる個人の作品展示ではなくて、みんなでつくっていくものなので、むしろそのような状態の方が健全だと思っていました。展示について自分が解決すべきだと思ったことは、穴アーカイブと生活工房という場所の関係、それから3階と4階を使うということの意味の、大きく2つありました。

はじめに松本さんからプロジェクトの話を伺って、ポストムービーをみせていただいた時に、このプロジェクトがすでに持っているストーリーや世界観、トーンがあるなと感じました。それに対する私の立場は、世界観を提示するんじゃなく、整理するというか、第三者的なものだろうなと感じました。

全84巻の8ミリフィルムを84葉の絵葉書セットにした映像目録(ポストムービー)。
「せたがやアカカブの会」では、参加者による感想や記憶を綴るためのツールとして活用
板坂留五

会場となる生活工房の空間は、大変興味深いんですが、とくに3階と4階は、たくさん部屋もあり、また企画毎にモノが増えたりとか、補修があったりとか、パッチワークみたいにどんどん変わっていくのが面白いですよね。一方で、生活工房にあるモノはそれぞれ何にでもなるフレキシブルなものではなく、料理にしか使えないモノや、映像を流すためのプロジェクターとか、限定的で具体的なモノがいっぱいあるなと思っていました。その歪さというか、複雑さに生活工房らしさを感じるけれど、そこに穴アーカイブの世界観がどう衝突するのか、あるいは分けてあげるのか。そのバランスが大事だろうと感じていました。世界観が前面に出るように、ホワイトキューブみたいに空間を均一化してしまうと生活工房の良さがなくなるというか、ここでやっている意味がなくなるので、その歪さをどう残すか。私が新たに作るモノが肝になるだろうと思っていました。

順路の途中にある開口部分
photo: Daisaku OOZU
板坂留五

それから、生活工房の3階と4階は繋がっているようで、全然繋がっていない場所だなというのを行くたびに思っていました。3階は劇場に繋がっていたり、エスカレーターでも人が来れたりという流れで、商業の空間とも繋がるようになっていて、ふらっと入れる。一方で4階はエレベーターか3階の階段から、という風に目的のある人が訪れるようなつくりになっていて、時間の流れ方が違います。その2つのフロアが繋がることで、1日で味わいきる、というよりは、会期中1ヶ月のタイムスパンで何回も来てもらうみたいなこともあるかなとか。また当初は展望台も会場候補に入っていたので、人の動きを大きく捉えたいなとか。そういうことを考えると、展覧会としては良くないかもしれないけれど、順路の途中で抜けれたり、入れたりするようなことを考えようと思っていました。
駅から近かったり、スーパーの上だったりといった生活圏内にギャラリーがあるため、何回も通えるという意味でも、映像の長さや本数の問題を上手く解消できそうだと思いました。場所とコンテンツのいいコンビネーションの企画だなと思います。

3階に位置する生活工房ギャラリー。世田谷パブリックシアターの前に位置している
photo: Daisaku OOZU
松本篤

はじめてじっくりと設計の話を聞いてますが、なるほど。

板坂留五

結局、そういう意味で3階と4階は役割を分けましょう、という話になりました。3階はウェブサイトを立体化したみたいな、総覧できて映像も流れているイントロダクション。4階は独立した1つの会場として、フィルム提供者12人のライフヒストリーの展示と来場者が参加できる場所。展示で映像活用のデモンストレーションをして、会場で実際に参加もできるように、それぞれ役割を分けました。

3階の展示風景。ポストムービーを84枚展示するとともに、84本の映像がループで流れる
photo: Daisaku OOZU
4階の展示風景。
12人それぞれのライフヒストリーを辿ることができ、
来場者がポストムービーに感想や想い出したことを
書き込むことができる
photo: Daizaku OOZU
会場で配布したハンドアウト。
12人それぞれのライフヒストリーを掲載
photo: Daizaku OOZU
カワルン
紆余曲折があって、
展覧会ができていくんだねえ。
クラシー
生活工房という場所の使い方も、いろいろ考えるとおもしろいね。