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レポート | 世田谷クロニクル1936-83 | 世田谷文化生活情報センター 生活工房

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世田谷クロニクル1936-83

 

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年代順に並ぶことの必要性はないかも

「クロニクル」というタイトルもあって、年表のタイムライン順に会場を巡っていくという構成案がありましたが、実際の構成は大きく変わりました。

板坂留五

映像だけでなく、モノや声も展示するという話が出てきた時、白黒もカラーもあるし、世田谷の持つ時間の流れもあるから、年代順での展示を考えていました。
ただ、実際にモノとかが集まってくると、それが年代順に並ぶことの必要性はないかもと思い直して。せっかく今回は同じ場所に集まるから、みる人が軸を選べたらいいかなと思いはじめました。松本さんと佐藤さんと対話を重ねていくにつれて、声も大事だしモノも大事だしとなってくると、全体を突き通すものが別になくても、その空間にどっぷり入っちゃえばみれるんじゃないか。どんな時代のものだったかというのは1回忘れてもいいんじゃないかなというふうに思えました。

年表はそれぞれの個人年表と社会年表が重なるので、1つのセクションにまとめ、展示スペースと参加スペースの切り替えポイントに配置しました。会場の配置的にも、中央に独立した2本の柱のあたりがひょうたんのくびれのようになっていて、インフォメーションカウンターがあったり、いろんな資料がおいてあったり、プラットフォーム的な位置付けとしています。年表の位置づけが1番難しくて、最後までどうなるかなと思っていました。グラフィック的にもわりと強いので、入口すぐにみえると歴史を語りたい展示にみえるけど、映像やアーカイブをみせる展示だから、年表はみえない方がいいだろうなとか。年表はサイズが大きいのでどうしても目立つんですが、最初にみえないように裏返しました。

会場設計図
全長7メートルの年表
photo: Daisaku OOZU
展覧会の受付
photo: Daisaku OOZU
映像にまつわる資料を閲覧できる
photo: Daisaku OOZU

実際にできあがった会場をみて、松本さんはどうでしたか?

松本篤

1人1人を紹介していく年代順のプランも、それはそれですごく魅力的で…。でも今の案になってからは、考えていたことをすごく具現化してもらっている感じはありました。模型の時点で早くみてみたいと思っていました。心配していたのは、外光と映像、それからモノにあてる照明の調整でした。光の具合はやってみないと分からないなというところがあったんですが、実際にみてみると、すごく自然で驚きました。

板坂留五

大きいスクリーンのところですよね。

キャロットタワーの吹き抜けから光が入る窓と大型スクリーン
photo:水野雄太
松本篤

そうですね。自然光も、普段は壁が立っていたりとか、あそこにシャッターがあったりとかであの自然光をちゃんと活かした展示って生活工房であまりみたことなかったんですよ。あの窓も含めて使えているということに開放感というか、気持ち良さがありました。この空間を多くの方にみに来てほしいと思いましたね。
アーカイブ的な展示って、最近は増えてきているんですが、「穴アーカイブ」のコンセプトに沿った、とても良いバランスでした。きっちりとしたルールもありつつ、抜けているところが抜けているような。

板坂留五

良かった。適度なゆるさみたいなものは目指したいと思っていました。かっちりすぎるとアーカイブが完成されているようにみえてしまうのが難しいところでしたが、「静かな雑さ」みたいなものを感じられるように意図しました。

松本篤

いわゆる博物館的な内容ではなかったり、生活工房の空間的な特性みたいなこともあったりして。レイヤーごとにパラメータがいろいろありました。それぞれのレイヤーを考えての設計だったので、生活工房ではない場所で展示したら、そのパラメータも変わって違う展示空間にはなったように思いました。


ここに来ると自分の歴史が残せるんですよね

新型コロナウイルスの影響で関連イベントを中止せざるを得なかったのは、とても残念でした。それでも展覧会で起きた出来事として印象的だったことの1つに、フィルム提供者の方が来場して、その人自身がファシリテーターというか、語り手になってアテンドしながら来場者の方に映像を紹介していたことでした。いわゆる展覧会って静かな空間で、話しかけてくる人っていないと思うんですが、来場者の方も意外と楽しんでいたのが印象に残りました。

photo: Daisaku OOZU
松本篤

今のエピソード、トシコさんですよね。企画者側が「提供者によるガイドツアー」を設えることはできますが、それとはまったく異なる意味がそこに現れたんだと思います。トシコさんがついつい会場に来たくなって、ついつい人に喋りたくなった。僕の全く知らないところでそんなことが起きていたというのは、企画者としてはなんかダメな感じもしますが(笑)、すごく楽しかったです。

あとは、提供者の方にお借りした蓄音機のエピソード。もともと壊れていたんですが、イベントで提供者の方と音楽を聴こうと思って修理したんですよね。修理してすぐに、提供者の方と息子さんも同席して、一緒に蓄音機でレコードを聴きました。息子さんは、レコードの思い出や展覧会で紹介したエピソードについて、ここで初めて聞いたそうなんです。たしかに、自分のライフヒストリーを誰かに話すことってあまりないですよね。レコードと語りに耳を傾ける、印象的な時間でした。

松本篤

トキさんのエピソードですね。ちょうどお彼岸の日だったんですよね。礼服を着て、お墓参りの後に来ていただいて。蓄音機はトキさんのお父さんの遺品で、しかも3歳ぐらいの時に亡くなっているから、面影がぼんやりとしか分からなくて。これまで、どんなモチベーションで提供者の人たちが関わってくれているのか、いまいち掴み損ねている部分もありました。だけどその日はじめて「ここに来ると自分の歴史が残せるんですよね」みたいなことを話してくれて。自分のことを記録に残したり語ったりする、あるいは、その語りを聞くことができるのは、もはや「家」という親密な場所ではなくて、こういったプロジェクトが開く仮設的なスペースに、わずかにその余地が残されているのかもしれません。

フィルム提供者と蓄音機に耳を傾ける。
LPレコードも数十枚お借りした
photo: 水野雄太
会場では、参加者自身も言葉をポストムービーに書き残し、「柵」に挟んで閲覧できる。
スポンジを流用したユニークな設計
photo: Daisaku OOZU

公園みたいって言ってましたよ

両フロアのいたるところにあるベンチ
photo: Daisaku OOZU
板坂留五

3階の生活工房ギャラリーをどう位置づけようかと最後考えているときに、もし生活工房をギャラリーじゃなくて、何かにリフォームするとしたら、劇場の待合室にしたいなと思っていました。会場の至るところに設置したベンチは、構造物として柵を支えるためにも使っているんですが、構造としては意味がないところにもいくつか設置しています。会期中に来てみると、そこで展示をみていないスーツ姿の人とかが、ぼーっと座って仕事をしてたりしてて…。普通のベンチなんですが、展示空間の中にただ座っている人がいてすごく印象的でした。
そういう人が展示をみに来ているかは分からないんですが、誰かのルーティンが変わるんじゃないかな、みたいなことをちょっと妄想したりして楽しかったです。それから、4階の窓ガラスに向けてベンチを置いているのも、そこからみえるレンガの壁がとても綺麗だったので角に1つだけつけました。

公園みたいっていうのはすごく嬉しいコメントですね。広場、はらっぱみたいに作りたいと思っていました。あらためて生活工房にはいろいろな人が来てるんだな、と思いました。施工中とか、打ち合わせで行くたびにいろいろな人が常にいて、思い思いに過ごしている、公民館とも違うおもしろさがありました。

たしかに、来館者の方はそれぞれ違う目的で来ていたりします。また、生活工房はソフトの面でもハードの面でもちょっと癖のある場所ですよね。

板坂留五

まとめじゃないんですが、生活工房という名前がおもしろいですよね。生活と工房がくっつくのって、一般的ではないじゃないですか。職人や作家とかでない限り、家に工房がついてるところはまずないし(笑)。名前だけだとどんな大きさなのかが想像できないのがおもしろいです。なんど訪れてもはっきりとまだわかりませんが。

振り返ってみると、展覧会の話をとおして生活工房も穴アーカイブもそれぞれ完結していない、進行中にあるという点で共通していることに気づかされました。新型コロナウイルスの影響によって会期半ばで終了し、イベントも中止になったことは大変残念でしたが、あらためて公共施設の役割やアーカイブについて考える機会にもなりました。お二人とも、本日はありがとうございました。

2020年5月15日、ビデオ通話アプリで収録

クラシー
フィルム提供者のトシコさんが、ついつい会場にきてしゃべりに来ちゃうなんて、なんだか嬉しい話だね。
カワルン
アーカイブを一緒に楽しむ、おもしろい展覧会だね。

レビュー

「記録」というトリガー、「記憶」という謎

辻本力

人の記憶とは面白いもので、ある体験や、その時感じたことなどが、「なぜそれと?」という意外なものと結び付いていたりする。

例えば、ある駅の構内の階段が、そことはまったく別の場所にあるカレー屋の味を思い出させたりする。あるいは、ある橋の上から見下ろした風景が、その場所に縁もゆかりもない友人の顔を想起させたり。

もちろん、理屈を立てることはできる。前者なら、カレー屋に行こうと思い立った瞬間たまたま目にしていたのが、その階段だったのかもしれない。後者なら、過去にくだんの橋の上で友人のことを考えたことがあって、その経験が場所とその人とを紐付けてしまったのかもしれない。いずれにせよ、客観的に見れば「もっと他に適当な象徴物があるんじゃ?」となるわけだが、当人がそういう風に記憶してしまっている以上、他人が異議を挟めるものでもないし、明快な説明を求めることも困難だろう。人は恣意的に記憶を書き換えるし、忘れるし、勘違いだってするのだから。ちなみに、前述の二例は筆者の経験談だが、現にその関係性はいまだ謎のままである。

「世田谷クロニクル1936-83」は、世田谷在住者および同地に何らかの縁のある人々から集めた84巻におよぶ8ミリフィルムをデジタル化・上映すると共に、フィルム提供者12人へのインタビューを敢行、映像をきっかけに想起された彼らの記憶を紹介するという試みだ。

8ミリフィルムカメラには、今のビデオカメラのようにマイクが内臓されていない。よって、上映される数十年前に撮られた映像群は無音である。代わりに、そこには、今を生きる者たちの回想が音声として重ねられる。展示を見る者は、古色蒼然とした映像をきっかけに、その撮影者ないしは残された家族が、かつての経験を「思い出す」現場に立ち会うことになる。

例外はあるが、多くの場合、映像から最初に引き出される記憶は、比較的そこに映し出された事物に直結している。しかし、それは徐々に飛躍していき、スタート地点からはどんどん遠ざかっていく。

アキラさん(71歳)

例えば、1948(昭和23)年生まれのアキラさん(71歳)は、フィルムに映るかつてのアメリカの風景から、その撮影者である父親のことを語り始める。父親の影響を受けて、長らく海外営業の職にあったという彼は、水を得た魚のごとくアメリカン・カルチャーについて語り倒した末に、趣味のアマチュア無線を介して知り合ったコードネーム「チャーリー」君(藤沢在住)との思い出話に至る。

『繁栄を謳歌する時代のアメリカン・ライフ』
(昭和33年7-9月)
映像を見る

ヨウコさん(67歳)

あるいは、1953(昭和28)年生まれのヨウコさん(67歳)が、建築中の生家を映した昭和36年の映像を見ながら思い出すのは、近所にあった養鶏場や広大な竹藪のことだ。それから思い出は徐々に時代を下っていき、ついにはボランティアで蛍を育てているという、彼女の現在の生活の話へと収斂していく。

『家ができるまで』(昭和36年)
映像を見る

また、映像と思い出との間に、ある種のズレが生じているケースもある。

ナギサさん(66歳)

1954(昭和29)年生まれのナギサさん(66歳)が、幼少時代の彼女を映したとおぼしき映像を見ながら思い出すのは、自身の青春時代のエピソードだ。デモに行くこと、反体制的であることが当時のトレンドだったこと、下北沢のなじみのコーヒーショップで友だちとお喋りに明け暮れていたこと——映像も回想も、下北沢が「演劇の街」となる以前の姿を捉えているが、そこには10年以上の時間の開きがある。

『正月から3日』(昭和36年)
映像を見る

トシコさん(84歳)

あるいは、1936(昭和11)年生まれのトシコさん(84歳)のように、映像に映る事物そのものよりも、撮影者である亡き夫に思い出のウェイトが置かれていることも。

『駒澤オリンピック公園にて』(昭和39年)
映像を見る

12人のオーラル・ヒストリーは、いずれも記録、すなわち8ミリフィルムの映像がトリガーになっている。しかし、その回想のプロセスも、記録と記憶との対応の程度も一様ではない。どこまでも私的で、だからこそ法則が曖昧で、つまりは謎が多い。そのミステリアスな有り様こそが「人間」という存在の面白さであり、解明することなど到底不可能そうなのに、どうしても思い巡らすことを止められない理由なのかもしれない。

辻本力(つじもと ちから)

1979年生。ライター・編集者。文化施設「水戸芸術館」を経て、2010年、生活と想像力をめぐる“ある種の”ライフスタイル・マガジン「生活考察」を創刊。文芸・カルチャー・ビジネス系の媒体を中心にいろいろと執筆。近刊に、日記アンソロジー『コロナ禍日記』(タバブックス、編著)がある。
https://fiddle-stick.hatenablog.com

クラシー
ひとつの映像から広がるそれぞれのストーリーに惹きつけられるね。映像は、深く広い記憶の扉みたいだね。
カワルン
次のページからは残念ながら中止になったトークイベントとワークショップの登壇者に寄せてもらったコラムを紹介するよ。