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レポート | 「岡本仁の編集とそれにまつわる何やかや。」GUEST TALK 2 | 世田谷文化生活情報センター 生活工房

Report

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岡本仁の編集とそれにまつわる何やかや。

GUEST TALK 2 「編集って何だ?」

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岡本仁さんの「編集」行為が生み出すものと、その背景を紹介する展覧会。ゲストトーク第2弾は「編集って何だ?」をテーマに『BRUTUS』編集長の田島朗さんと対談しました。トークの模様をお届けします。

展覧会
会期:
2022年10月29日(土)~2023年1月22日(日)
時間:
9:00~21:00 祝日除く月曜、11月6日、12月29日(木)~1月3日(火)は休み
会場:
生活工房ギャラリー
関連イベント
GUEST TALK 2 編集って何だ?
開催日:
2022年12月11日(日)
時間:
14:00~15:30
会場:
セミナールーム AB
登壇:
田島朗(『BRUTUS』編集長)×岡本仁
概要写真

People

岡本仁(おかもと・ひとし)

1954年、北海道生まれ。マガジンハウスにて『BRUTUS』『relax』『ku:nel』などの雑誌編集に携わったのち、2009年に退社。現在はランドスケーププロダクツに所属し、インテリアショップや飲食店、内装業などの同社の幅広い事業のなかで、カタチのないもの=コミュニティづくりやコンセプトメイキングを担当している。2021年、鹿児島県霧島アートの森にて、展覧会「岡本仁が考える 楽しい編集って何だ?」を開催。
主な著作に『ぼくの鹿児島案内』『果てしのない本の話』『ぼくの東京地図。』『また旅。』など。現在、雑誌『暮しの手帖』にて旅のエッセイを連載中。

田島朗(たじま・ろう)

1974年浦和市生まれ。1997年マガジンハウス入社、1998年『BRUTUS』編集部に配属、2010年同誌副編集長に。2016年10月発売号より『Hanako』編集長としてリニューアルに着手。雑誌にとどまらず、デジタル・読者コミュニティ・イベント・商品開発・海外事業などを手がけ多メディア化を図ることで、現在につながる『Hanako』のブランド展開をプロデュース。2022年4月1日発売号より『BRUTUS』発行人・編集長。

そういえば、
編集ってなあに?

本や雑誌をつくることだとおもってたけど、どうかなあ?

01

雑誌で「やりたいことをやる」とは

岡本仁

田島くんがマガジンハウスに入社した年が1997年。配属されたのが宣伝部でしたか。

田島朗

そうですね、うちは編集部に行く前に業務部に行くっていうルールがあって、僕は1年ちょっとですけど宣伝部に配属されました。

岡本仁

その頃に僕が『relax』っていう雑誌の編集長になることになりまして、社内の各部署、宣伝だったり販売だったり、広告だったり、それぞれに『relax』を担当してくれる人を見たら全員が新人だったんです。「ああ全然会社は期待してないんだ、好きにやろう」って思ったんですが、田島くんに「宣伝費いくらあるんだっけ」って聞いたら──

田島朗

雀の涙くらいしかなかったんです。

岡本仁

その少ないお金で何ができるか、考え付いたのがフリーペーパーをつくること。八つ折にしたものを毎月つくって、タワーレコードと、あとは全国のカフェにいろんな伝手で連絡をとって、置いてもらえる所を探したと。

田島朗

だから僕の一番初めの仕事は『relax』でフリーペーパーをつくって、いろんなところに電話して置いてもらうことでしたね。

岡本仁

確かフォーマットをつくってからは、その各部署の若い人たちに投げちゃって、僕は次号予告しか書いてないんです。みんな編集をやりたくて会社に入ってきたのに編集じゃないことをやってたので、それも大切だけど編集を早くから始めることも大切だ、みたいに思って、無理やり振ったっていう感じでしたよね。

田島朗

そうですね、フリーペーパーの制作を通して編集っていうものを経験させてもらったんで、最初の編集の師匠は岡本さんだと思ってるんですけど、僕らに編集の機会を与えてくれるためだったんですか。

岡本仁

格好良く言えばそんな感じですけど、編集部としての予算も全然ないし、人数も月刊誌なのに僕を入れて5人しかいなかったから、やることがいっぱいあったんですよね。「編集やってみなよ」って言ったらやってくれるんじゃないかなっていう計算もあって。すいません。

田島朗

いえいえ。まさに僕は編集やりたかったのに、電話に出る練習させられたり、代理店さんと接待行ったりしてて(笑)、フリーペーパーが唯一の編集者との接点でしたし、今の編集者生活の礎になっているものです。

岡本仁

そのフリーペーパーで、渋谷直角の連載漫画の横に「タジマロウ」という男が──

田島朗

ミレニアムの時に、海外のパーティに行った時の話を書きましたね。

岡本仁

しかも南アフリカ。この時の印象なのか、僕にとって田島はとにかくトラベラーっていうか、レイブ世代でやたら旅をする子なんだ、だけど旅の仕方は違うわ、っていう人だったんですけど、『BRUTUS』の編集部に入って好きなことはやれましたか?

田島朗

そうですね、こんなぬるい話して良いかわかんないですけど、実は会社に就職しない道を選ぼうと思ってたんで、就職活動も何もしなかったら「大学まで行かせたのに何を考えてるんだ」って親父に呼び出されて。それで、いいなって思ってる会社だけ受けてみよう、だったら旅の機会がある会社に行きたいなと思って、その一つがマガジンハウスでした。旅の雑誌を出してたり、海外の情報がいっぱい載ってる雑誌があったりしたので。でも難しいだろうし、入れなければ旅人を続けようかなと思っていたら幸運にも入ることができたんですね。

田島朗

だから僕のモチベーションはずっと「世界中を旅する」ことで、『BRUTUS』でいろんなところに行かせてもらったし、最終的には南極まで出張で行ったんで──

岡本仁

南極?

田島朗

はい、2014年に「一世一代の旅、その先の絶景へ。」っていう特集で南極に行ったんですけど、南極行った時にまさに「来るところまで来たな」と思えたし、やりたいことはできた編集者生活だったかなと。

岡本仁

『BRUTUS』にいた時、副編集長に「お前が編集長になったらどんな雑誌にする?」って聞かれて、「岡本仁っていう男が編集長の時の『BRUTUS』が一番好きっていう読者がいっぱいできる雑誌にします」って言ったらすごい怒られたんだよね。ずっと『BRUTUS』っていう看板で続く雑誌で自分の色だけを出そうなんてやつは駄目だ、みたいなことを言われたんです。ああそういうもんなんだ、俺はそうは思わないけどね、と心の中でつぶやきながら。

田島朗

はい。

岡本仁

それから何年か経って、『relax』の創刊編集長で当時は役員だった人から編集長やりませんかと言われた時に「あなたが今まで作ってきた雑誌、全部嫌いです、なのに何で僕が編集長をやるんですか」って聞いたら「君は生意気そうだから。好きにやりなさい」って。で、1号つくったら「やりたいことやってませんね」って言われて。

田島朗

1号目ってあれですよね、迷彩特集。

岡本仁

そうですね。

田島朗

あれはじゃあ抑えながらつくったんですか?

岡本仁

抑えるも何も、読者は先月の続きだと思って手に取るわけで、でも変えるつもりでやったんだけど、それを「やりたいことをやってない」って、前に怒られたことと正反対のことで怒られて。

岡本仁

だから雑誌の編集って言っても、僕と田島くんの言ってるのは、一人の編集長の個人誌ではなく、いろんな趣味趣向の人が集まって、それをなだめすかしてまとめて、毎月発行するっていう仕事ですよね。だから「編集」がどういうものかって、配属された編集部によってある程度決まるのかなあ、と思ったりもするんですよ。二人ともすでにあった雑誌の編集長に人事異動でなってるから。自分が編集の色を決めてるのか、雑誌がその色を決めてるのか。

田島朗

そうですね、僕も会社には好きなことやれっていわれますけど、『Hanako』も『BRUTUS』も大きな看板だったので、やっぱりその看板を背負った以上、今までの歴史を尊重しながらつくっていかないととは思っています。でも『relax』は、迷彩の次の特集がGROOVISIONSでしたっけ?

岡本仁

はい、グルビです。

田島朗

ですよね。「グルビ知ってる?」みたいな表紙で、「知らないよ」っていう時期だったと思うんですけど(笑)、何万部って刷って流通を押さえて全国の書店で売る雑誌で、あのタイミングであの特集だったのは僕ら作り手側もみんなびっくりしたっていうか。どういう気持ちであそこまでできたんですか?

岡本仁

たぶん1号つくって怒られたから、じゃあ好きなことやります2号目はっていう。それがまた極端で、当時編集部内でもGROOVISIONSを知ってる人はほぼいなかったかな。それでまあ歴史的に売れなくて、帰りに寄るコンビニに最新号が並んでて、前の日から一冊も減ってないから、ああ何か忍びないと思って一冊買って、次の日の夜も、その次の日の夜も買ってっていう。

田島朗

気持ちわかります。

岡本仁

あの号だけうちにたくさんあったんだ一時期。

田島朗

僕も売れない特集とかつくった時に買ったりします。編集者の性なんじゃないですかね。

クラシー
雑誌をつくるのに、旅もできちゃうんだね。
カワルン
しかも南極だって!