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レポート | 「岡本仁の編集とそれにまつわる何やかや。」GUEST TALK 2 | 世田谷文化生活情報センター 生活工房

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岡本仁の編集とそれにまつわる何やかや。

GUEST TALK 2 「編集って何だ?」

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キャリアと転機

岡本仁

それまで『BRUTUS』しかやってなくて「『Hanako』の編集長をやりなさい」って言われた時どんな感じでした?

田島朗

いやほんとに会社辞めようかなって思ったんですよ。俺にはできない、って思って。特集主義の男性誌に18年いて、ショックもあったんですよね。成功させられる気がまったくしなかったし、僕のキャリアも終わるかもしれないなあ、そうするとこの先どうなるんだろうとか思ったんですけど、やっぱり編集長っていう景色を一回見てからでも遅くはないかな、やれることをやってから決めようかなって。

岡本仁

会社を辞めようかというくらい不向きだと思った雑誌を、どうしたらいいっていう風に考えたんですか?

田島朗

『Hanako』って創刊の時は週刊で、実は女性誌ながらも骨太の雑誌だったと思うんですけど、そのうちいわゆる情報誌の部分だけ切り出されていって、ネット時代になり需要が減っていった。であれば、もう一度創刊当時の、男女雇用機会均等法が成立して女性がパワーを持ち始めた頃の雑誌に戻してみようと。読み甲斐のあるコンテンツで立て直すことが一つと、誌面だけじゃなくて、商品開発したり、イベントをやったり、デジタルメディアを使ったコンテンツなんかをやり始めましたね。

岡本仁

僕が想像する編集長の仕事とはずいぶん違うっていうか、雑誌以外のことをどれだけ考えるかっていうことにもつながると思うんですけど、やっぱりずいぶん変わったなって感じがあったし、アイスクリームをつくったりしてるのも、おお大変なんだなと思いながら見てました。

田島朗

ただ、僕のなかではアイスつくったりするのも編集っていう仕事の範疇かなと。それこそ岡本さんの展示でも書いてあったみたいに、なんか一つ違う価値観を見つけることとか、何かと何かをくっつけて違ったものを示してみせるとか、それが編集だと考えると、たとえば「タピオカウーロンミルクティアイスバー」っていうのをつくったんですけど、ちょうどタピオカが流行ってて、でもそこにウーロン茶とミルクを加えるのって日本では斬新だったんですよ。それをメーカーに提案したら「トレンドが見えきれてないんで」ってすごい言われたんですけど、やってみたら全国のファミリーマートでドカーンと当たったんです。

田島朗

どういう色をパッケージにしたらアイスクリームの陳列棚で目立つだろうって、書店でどんな表紙が目立つか、どういうタイトルをつけるかとかと一緒だなと思って。そうすると編集者の生きる道が急に広がった気がしたんですよね。もちろん紙の雑誌も大好きで、一日でも長く続けたいんですけど、同時に編集者のスキルを、どれだけ世の中に広げていって、どれだけ世の中に求められていくかっていうことを考える良いきっかけになったと思います。

岡本仁

そういうことを考えたほうが本筋の雑誌の編集がさらに面白くなるというか。お金を出してくれる企業に向けてのプレゼンテーションにもなるし。

田島朗

そうですね。お金ももちろんそうなんですけど、雑誌だけつくってるとどうしても同じカルチャー周りの人しか付き合わなくなるなっていうのもあって。たとえばさっきのアイスクリームのメーカーって、製造が上手だからコンビニのプライベートブランドの発注がいっぱい来るんです。でも自分たちのブランドでアイスをつくってもなかなか売れないんですよ。そういう課題を解決したくてそのブランドと『Hanako』のダブルネームでつくったんです。そうすると、三重県の工場にいる、アイスを三層に分けて味を入れる時に機械でもできないことを目分量でできるみたいなプロのおじさんと出会ったりして、そういう凄い才能を持つ人に出会うと編集者って心躍ってくるじゃないですか。そういう幅が、雑誌本体だけをつくっているよりさらに興味の幅が広がっていく感じが面白いなって思ったんですよね。

岡本仁

うん。すごくよくわかります。それを経験したうえで、また『BRUTUS』に戻ってこいと、しかも編集長だって言われた時はどうですか。

田島朗

やっぱり緊張感ありましたし、今もありますね。それこそ自分の好きなようにっていうのはなかなか難しくて、どんな『BRUTUS』が自分らしいのかは模索しながらやってますけどね。壊れかけてるものを引き継ぐと、ある程度思い切ってできるんですけど、上手く行ってるものを引き継ぐ場合、なかなかそういうわけにもいかないと思うので。ただ、雑誌ブランドができる可能性を拡げていく、ということに関しては僕は他の編集者よりも経験を積んできたのかもしれないし、なのでそういった新しい試みを『BRUTUS』でも始めていますけどね。

岡本仁

全く違う仕事で違うものをつくってる人と一緒に作業しながら、自分の編集っていう技術なのかな、それを加えることで、面白いものができてくっていうのは、すごく可能性がある気がする。僕もマガジンハウスを辞めてランドスケーププロダクツに入る時、編集者のまんまでこの会社に加わりたいっていう面倒臭いことを言ったと思うの、社長に。それを認めてもらえて加わったわけですけど。そこで何やってるのってよく聞かれるんだけど「編集です」って言うと本をつくってらっしゃるんですか、みたいな話になるので、もっとわかりやすくするつもりでつけたのが、形のあるものをつくる会社で、形のないことだけを担当してる人間っていう風に自分のこと言ってたんですね。でもむしろわかりにくくなって(笑)

田島朗

そうですね(笑)。さっき僕、偉そうに話してましたけど、一番初めにそういうことを始めたのは、少なくともマガジンハウスでは岡本さんだったじゃないですか。編集者が、会社を出ても雑誌の世界の延長のなかで生きていく方が多かったなかで、岡本さんはいろんなことを知ってたりいろんな人を知ってたり、それをまたくっつけたり合わせたりすることで違った価値を生むっていう仕事を始めたって意味で、編集者の可能性を広げてくれたさきがけでもあるんじゃないかなと思ってるんですけど。

岡本仁

いやあ可能性を広げたかどうかは全然わからないですし、全く自信もないですけど、だけど結局自分が好きでやり続けてることって、編集としか呼びようのないことで、まあ文章書いたりもしますけど、それも編集者として書いてるっていうところがありまして、全体の構成のなかでこの文章がどの位置にきてどういう写真とあわせて読んでもらうとどんなふうに受け止めてもらえるか、みたいな立ち位置から書いてたりするので。だから僕は自分のことをライターってあんまり言ったことがないんですけど。

田島朗

たとえばInstagramとか、本を書く時って岡本仁の名前で出るわけじゃないですか。その時のマインドって編集者とは少し違ったことになりますよね。それってどういう感じで続けているんですか?

岡本仁

全く新しいことを考え付くっていうのは、僕そんなにないと思うんですよ。でも全く新しい組み合わせを考えるのは好き、みたいなのはあって、だから自分の中にある何かと、全く関係ないと思ってた何かが「これは接点にすれば、つながった一つのこととして提示できるんだ」ってことをずっと続けてるわけですよね。たとえばiPhoneで写真を撮ったりとかInstagramにポストしておくとかしますけど、それで終わりなんじゃなくて、後になって見直して、なんか使えないかなとかいうことをやるのが楽しいから、これはもう自分のことを編集者って呼ぶしかないのかなあっていう感じですけどね。

田島朗

今、ランドスケーププロダクツの編集者として、普段どういう風にお仕事されてるんだろうってみんな興味があると思うんですよね。それこそコーヒーキオスク(BE A GOOD NEIGHBOR COFFEE KIOSK)とか手掛けられてますけど。

岡本仁

いやあ、痛いところをつかれました。ま、端的に言えば何もやってない。

田島朗

そんなことないです。

岡本仁

何もやってないんですよ。年齢を重ねていくうちに、自分が思いつくことがだんだん面白くなくなってくるわけです。

田島朗

うわ、なんか怖いこと言いますねちょっと。

岡本仁

積み重ねた経験から、こうやったら上手く行くというものに乗っかって考えてるだけだから、とんでもない発想はないんですよ。失敗はしないかもしれないけど、世の中をあっと言わせることでもない、それをなんとかできないかなあって思うと「これやってもらえませんか」って頼まれる立場になったほうが面白いかもしれないって思ったんでしょうね。それで今は「こういうプロジェクトがあるんですけど、何をしたらいいですか」とか「どういう名前をつけたらいいですか」とか「そこで集まった人たちに何かをしゃべってほしい」とか言われたことを「分かりました」ってやって、あとはぶらぶら散歩してる。

田島朗

雑誌をやろうとかはないんですか?

岡本仁

割とよく聞かれるんですけど、僕が考える雑誌っていうのは、それこそ30年も40年も続いてて、その間の3年間私が編集長でした、みたいなものだから、組織が必要じゃないですか。で、全員を納得させながら、自分の進みたい方向に引っ張っていく、僕自身も夜寝ないで無理をするみたいなことが必要だし、それはもうある年齢を超えたらできないなあと。僕は徹夜なんか無理なのに、みんなに徹夜してもらうのも自分の雑誌って感じがしないし。そういう意味で、新しい雑誌をつくろうとか、思ってもいないです。

田島朗

雑誌って大勢と一緒につくる面白さがありますよね。みんなが言うこと聞いてくれないからどうするか、僕と他の人のやりたいことのちょっとした違いを、相手も尊重しながらどう進めるかっていうのが楽しかったりするんですよね。

岡本仁

そうですよね。結局どれだけ関わってる人とコミュニケーションできるか、どれだけ納得してもらえるかって、プレゼンテーションみたいな状態で人と接してますよね。

田島朗

そういえば『relax』もそうでしたもんね。

岡本仁

でも『relax』はまたちょっと違ったんですよ。人数が少なくて一人のやることが多いから、先に僕が全部連載を決めたんです。こういう順番でやりますと。それぞれ担当してもらって、その中では好きなことやってもらっていいからって。自分で決めたからなんとなくトーンはできるだろうなって思って。

田島朗

自然体が崩れないような、まとめかた。

岡本仁

そうそう、だから、編集会議は月に1回やってるだけで、何やりたい? みたいな話を聞いて。

田島朗

聞かれなかったって聞いたんですけど(笑)

岡本仁

いやそれは受け止め方で、どこかで「こんなことやりたい」って言ってたことを、「次やろうと思う」って話してたんだと思いますよ。

田島朗

なるほど。そういえば、2024年1月で『BRUTUS』が1000号なんですよ。

岡本仁

すごいね。

田島朗

そうなんですよ。順調に何事もなければ、僕がそのまま1000号も編集長を務めているとは思うので、そうしたら何をするか今考えてるところなんですけどね。考えた結果、何もしないかもしれませんけど、もしなにか記念のコンテンツを作ることになったら、なにかしら一緒にできればと思うんです。

岡本仁

うんうん。ありがとうございます。

カワルン
何かと何かをくっつけるの、楽しそうだね~
クラシー
おおぜいで何かをつくるのも楽しいよね~